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。◌☾*。꙳✧*̣̩⋆̩☽⋆゜

自己紹介の巻 2

 

というわけで前回の続き*・゜゚・*.。:*・

 

仕事をやめ、人生のたまった有給をこれでもかというくらい

自分の体と心と魂に向け続けることについやす毎日

日ごとに増す安心感と満ちていくようにじんわり感じるしあわせ

なにをしていようがいまいが、自分自身へ送る自己肯定

日々変容を重ねながら、以下のメソッドを繰り返しました。

 

内観 瞑想 エネルギーのリーディング

チャクラ、ナーディのクリアリング

チャネリング(自動書記)

チャネリングに関しては意識が拡大し、統合していく過程であまり意識しなくなりました。

わたしという、個でさえすべてという全体であること。

宇宙全体の動きが個に反映しているにすぎないという意識にシフトしていきます。

すべてがわたしのなかにある。わたしは個であり、同時に宇宙全体の意思でもある。

ワンネス意識といえばわかりやすいでしょうか。

チャネリングという言葉を使うとしたら、

ここから後は、自分自身の魂や心、体とチャネリングしていたという感じですかね。

(現在はまた違う領域にいるので、この当時はという感じです)

 

わたくしは上記の方法により、いままで自分を守っていた自我をどんどんとかしていったんですね。

誰もわたしを傷つける人はいないよ。と。

傷つけるとしたらそれはわたしがわたしを責めたとき、罪悪感を抱いた時。。

そういった自分が発しているエネルギーが事象として目の前に現れ、そしてなんらかの感情を抱かせる。(これはある一定の次元層で起こっていることですけれど。)

 

自我というのは地球生活、人間生活を送るなかでとても役に立ちます。

ただ、自我=わたしという捉え方にあまりに傾くと偏りが生じます。

それが時には苦となったり、時には視野を狭めたりもします。

 

傷つくまいと守るようにがんじがらめにしてきた自分をもう自由にしてあげよう

もっと自由に存在していい。もっと自由に愛し愛されていい。

感情の解放や観念パターンの解放は、人それぞれですが

わたしはとにかく自分を赦しまくった。裁くことさえ赦しました。

違和感を感じた事象と自分自身の内側に起こるあらゆるエネルギーと向き合いました。

 

 

 

物事を善悪で捉えることよりも、全体的な動きとして観察する。

いまなにが起こっているのか、そして自分の魂はどう反応し、どこに位置しているのか。

そういう視点で物事を観察(というより傍観)するようになりました。

 

その過程で、ある種のエネルギーが自分のなかから溢れてくるように感じるようになりました。

ハートチャクラから。

すべての人と自分の境目がなくなっていって、どの人のなかにも自分が見えるというか。

どの人にも愛おしさが溢れるというか。はい。アガペーです。アガペーがマックスです。

そのフェーズに入るとなにが起こっても微笑みというか静かにふわっと慈悲が芽生えるというんですかね。とてもおだやかに世界をみている自分がいました。

ただ、あまりバラエティーに富んだ反応が返せないことがあって、怒り狂っている人を前にしても微笑み返すしかしないとか、エネルギー的に無防備なので、ここの地球生活にはあまりマッチしないエネルギー次元でした。ほかの波動高めの星とかならそれがふつうなんでしょうけれども。

たとえばですけど

旦那さんが家のお金を使い込んだ時、わたしに罪悪感を抱いてそのことをなかなか言い出せず、

出張先から人生の底みたいな声でお金を使い込んだ反省の電話も(笑)

「そうなんだ。なかなか言えずにつらかったね。仕事ばっかりで楽しみの時間ももてずに。。かわいそうに」とかいってるんですよねw

怒りを我慢してそのように振る舞う、とか、あんまり怒るのも良くないから、

とかそういうことではなくて、もうまずはじめに怒りという反応そのものが存在しない、そんな次元層なわけです。

現在なら「どうすんの、ウケル」っていうとおもいますねw

 

 

で、そうやっていろいろ体験ゾーンをあじわいつつ

内観 瞑想 リーディング クリアリングをくりかえして行った先、

大きなシフトがある日起こります。

いまはようやく言語化できていますが、たぶんふつうの生活を送られている方には

この人病気なのではと思われるかもしれませんがw いたって健康です。w

意識次元がおおきく開いたのでこのようになったようです。

 

その日はいつもより他人との境目が曖昧で、アガペーゲージが高かったのですが

ある瞬間を境に、文字が急に読めなくなり、自分がどこにいるかもわからないし認識ができません。

意識が飛んで頭が真っ白になった感じといえばわかりやすいでしょうか。

一切の自我の消滅を体験した瞬間だったかなと思います。

魂が肉体から離れ、永遠の安寧の世界に戻った時のような。(臨死体験では肉体から離れる時そんな感じだった)

 

認識していた世界が一度消えました。

その後すこし肉体次元の感覚を思い出し

(遠ーーーーーーくに肉体次元や自我の声を聞きながら)

家には帰れましたが、その後何度かいままで通っていたはずの道がわからなくなるなど

いろいろやらかしました。

家に帰れなくて困るとかそういう自我もないので、困らない、迷ったままで

意識が肉体の近くに位置するとなんとなく、うっすら認識ができるというくらいの意識レベルですごしていましたが。笑

 

自我ってすごい。一定の秩序が保てるのは自我のおかげでもありますね。

精神性の開いた次元では地球の秩序はナニソレ?的な感じかもしれませんけれど。

 

一切の自我の消滅や肉体次元を認識しなくなるというのは、ほぼほぼ死にちかいですね。

だってすべてを認識できない。生きているということさえ意識に登ってこないのですから。

お腹もすかない、眠くならない、感情もわかない。

ただそこに肉体だけは存在する。ただ在るということしかない。

(インドなら聖者として瞑想だけして生涯洞窟の中で生きていけたんでしょうか。

でもここで死やその道を選ばなかったのなら、他に魂の望む創造があったのでしょう。)

 

そんな状態を3ヶ月くらい経験して、もどってきたというか

この肉体をで生きて、ここで魂の望む経験がまだある、というところで

のろのろ動き出しはじめたのがここ2年ほど前のおはなしですね。

 

生きている死んでいるか記憶もあまりない時期でしたが

自我の介入しない次元層を経験したことで

セッションにおいても瞑想においてもリーディングの領域がおおきく開いた気がします。

エネルギーワークで扱う領域も非常に多次元的なものに展開していっています。

わたしはわたしの体験とその気づきによって、できることがあるのかなと思ったりします。

慢心ではなく、そうなることが必然で当然のようなしずかな確信のなかで

できることをやっていけたらいいなとそんな気分です。

 

だれもが同じシフトをたどるわけではないし、どれがすごいとか、いいとかもない。

そして、いつだって探求にゴールがあったことなどない。

わたしたちの魂のエネルギーソースは0ポイントに位置しているのだから。

だからわたしたちはいつだってこれからも

魂はそのままに、形を変え、場所を変え、経験を糧に創造しつづけるんでしょう。

 

 

 

 

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