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無からはじまる自動更新

 

きょうもながれに身をまかせつつぱちぱち(タイピング)してます。

 

うっすらアップしようと思ってたことがあったような気がしたんですが

こうぱちぱちしはじめるといろいろ飛んでいかれました。チーン。

なのできょうも指の勝手な動きにまかせつつ。。

(もうわざわざいわなくていいですかね。ってテレパってるよ笑)

 

わたしの場合

セッション中とか、メッセージがなにかきている時なんかは

周波数高め設定で自我の領域を通さないので

その後内容とかも覚えてなかったりするんですけれど

思い出す必要があれば思い出せるし

伝える必要がなければ記憶喪失かってくらいとんでます。

アレやんなくても無我ればトベマスよっていう。内輪ネタです。

 

で、こんなんなのでさぞかしふわふわ漂って軽ーい感じで息しているように思われるんですけど、否定はしません。肯定もしませんけど。どっちやねん。

否定肯定善悪正誤。。。2元論には興味ないです。えへ。

(それはそれで鮮やかな経験🌈)

 

 

それでまあほんっと自動操縦なのでその都度必要なようにカチッと3次元モードになったりきゅうにあさってのほうむいて空になったりして、ほんといろいろです。

目に吸い込まれるコワイとかたまにいわれます。笑

ちなみに目ってすごいエネルギー量と情報が含まれていますよね。はは。

 

たまーにですが、パッと見た感じ軽くてふわっとしているらしいので

最近の子ってとくに苦労なくて悟っちゃってていいよね的な見方されることがたまにあるですが

 

自分でいうのもアレですけど(というか指が勝手に動くんですみません)

これまでの人生むしろシゴかれてきたのかなっていうような経験が多くて

まいにち血を見るような生活とか、なんども地球生活に絶望したり、振り切ったように朝から晩まで休みなく仕事に明け暮れてみたりとか。

いろいろ感じて、経験して、傷ついたり、とかもありました。

 

中学のときほんきで俗世間を離れるにはどうしたらいいのか

竹林の七賢みたいに俗世をすてて清談していたいと本気で考えていたんですよね。

自分とは、人生とは、、、違和感ばかりのこの世界でどううまく生きていけばいいのか。自分のメンタルの指針は自分で学んでいくしかない。みたいな。

10代のころからずっと自問自答の日々。

日々自分のメンタルの分析と視点の置き方の分析、実践。てかんじです。

 

そのころの小中高時代ってとても限られたコミュニティーしか関われない時代。

(現在はたぶんもっと拓けてんだと思いますが)

わたしはいつも同年代とはなしているより、大人のひとたちと話すのがとてもたのしかった。知っていることをほんとうに話せていたから。

土日の早朝によくラジオで宗教の番組があって祖母と朝食をとりながら愛についてとか話しているときはたのしかった記憶がありますね。(無宗教なう。笑)

人によっては生意気に知った口きくなとかいう人もいるので、そのへんはエネルギー読んで、何にも知らないただの子供として接していたかなとおもいます。

 

ふつうという違和感たちにうもれながら

ふつうの人生をさもふつうに生きているかのごとく生き

しかし、自分の魂の声をわすれないように。

ここに存在している魂を忘れることのないように。

 

 

そんな時代があったなと回顧されたみたいです。

あれ?過去生の記憶かなってくらい解放されています。

 

20年以上物理的にも精神的にもやすめる時間をもたないで生活してきました。

物心ついたときにはもうはじまっていましたから。人間世界への探求が。

わたくし肉体年齢はアラサーなんですけれども、ほんとうに心身ともにちゃんとやすめることができたのはここ数年のおはなしです。

休みながら。内観しながら。解放しながら。

 

 

 

おわりなき多次元の探求ですが、エネルギー次元においても物理次元においても、そのどちらもの創造がより瞬時により同時になされていく流れのなかにあります。

いつの日もプロセスです。常にシフトしていく視点です。

 

わたしはわたしの魂そのもので

いまここを在るように生かされるように

変化が普遍であるように

それがすべての祝福であるようにたゆたいながら生きる

ただそれだけだな。と。